2008年4月24日 (木)

がんばれジャカルタ

一年ぶりのインドネシアだ。この国は、特段景気が悪いということでもなさそうだが、いわゆるBRICSのような勢いもない。また、古くから日本企業が進出しているが、そのあたりもタイや最近ではベトナムにもおいていかれてしまっているようだ。イスラム教が国教であることが微妙に影響しているのか、はたまた約2億人の民を数多くの島からなる国家の中で統治することの難しさというか、統治者自身のポテンシャリティーによるという部分もあるのかもしれない。

到着したスカルノハッタ国際空港は、首都ジャカルタから20~30kmくらい離れているだろうか、古い鄙びた空港だ。ごたぶんにもれず、この国もモータリゼーションが進んで、車の数も増加しているが、相変わらず道路の整備は遅れたままで、大都市ジャカルタでさえ、地下鉄は勿論なく、公共交通機関はきわめて貧弱ということらしい。そのジャカルタは、インドネシアの人口の約7割が集中するジャワ島にあって、1000万人が暮す大都市だ。時差は日本とは二時間送れている。昨晩こちらに到着してから、中華料理を食べに出かけた。インドネシア料理なるものを食してみたいものだが、確かに、「タイ料理といえばトムヤムクン」といったような代表的なものがピンとは浮かばない。特徴がないといえばそうなのかもしれない。

石油は従来の輸出国から最近では輸入国になっているらしいが、それでも天然ガスや石炭もとれる資源国だ。しかし、LNGあたりも輸出規制をはじめたし、今年は米不足も深刻ということだ。ホテルや料理屋の人たちも人柄がよさそうにみえる。まあ、何も経済的に発展するだけが豊かな国ということではけしてないのだろうが、頑張ってほしい国だと思う。

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2008年2月 9日 (土)

南紀白浜の海岸

先週の半ばから四国、大阪をまわってきて、今朝は、和歌山県、南紀白浜の温泉ホテルにいる。若い頃、堺に住んでいたことがあって、当時、仕事の関係で何度かこちらのほうへ来たことがあったので楽しみにしていた。泊まったホテルは「白良荘(しららそう)グランドホテル」。白浜海岸の一番端にあるホテルだが、老舗ということで10年ほど前にリニューアルしたそうで、なかなかいいホテルだ。なんといっても部屋から見える白浜海岸の風景が素晴らしい。小さな入り江という感じだが、白い砂浜に太平洋の澄み切った海の色が素敵だ。今は人気が全くないが、当然のことながら夏のシーズンには海水浴客でごったがえすらしい。遠くに見える水平線は先々週、中近東でずっとみていた砂地の地平線とは違ってはり心が休まる。ほんとに海はいい。昨夜聞いたところによると、この海岸の砂浜も時間がたつと砂がなくなるので、オーストラリアから何年かに一度は砂を運んでくるものらしいが。

温泉も、ぬるぬるした感じに、口にあたるとちょっと塩っぽかったりして、なかなかだ。これから、東京にかえるため飛行場にいくのだが、飛行場もホテルから15分のところにあると聞いてビックリ。ということは、羽田からここにくれば一時間ちょっとということ。東京からくるにも便利だし、一度ゆっくりと来てみることにしようと思う。いいところを見つけた。

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2008年2月 2日 (土)

中近東~カタール、UAE

大韓航空爆破事件で金賢姫が捕らえられたことでも記憶するバーレーンから飛行機に乗ってカタールのドーハに入った。ドーハといえば、サッカーの「ドーハの悲劇」をどうしても思い出す。さしてサッカーに思い入れのない僕にしてさえ、ロスタイムでのロングスローからの失点で同点に追いつかれてしまった時の、ゴン中山が「うそだろ~」ってな感じで崩れ落ちていった姿や、ラモスやカズが試合終了後ずっとグラウンドでへたり込んでいた姿が目に焼き付いている。日本人にとって、ドーハという都市はそんな苦い思い出の場所だ。そして、あの時のドーハのサッカースタジアムといえば、どこかの、それもかなりの田舎のサッカー場という印象があった。きっとドーハというのも砂漠の中のさびれた田舎町のように見えた。しかし、ドーハはその後、全く違う都市へと変化した。高層ビルが立ち並び、更に建設は続いている。015 中国で何度も見かけた「都市化」の光景だ。聞けばドーハの悲劇の時のスタジアムは今も残ってはいるらしいが、今では10万人を収容できる新しいスタジアムが完成しているらしい(ちなみに、カタールの出稼ぎ労働者や移民を含めた全人口が約100万人ということなので、1/10の人が見に行かないと満席にはならない勘定だ)。数年前にアジア大会を成功させていて、2016年はオリンピックの候補地に立候補しているとのこと。東京とのライバルなのだが、印象的にはやはりカタールなのだろう。

カタールは豊富な天然ガスが近年発見され、開発されて急激に大金持ちの国になった。これからは「ドバイを抜いてカタールだ」という人も多い。

続いて、アラブ首長国連邦、略してUAEの首都アブダビに到着。この国は七つの首長国から成り立っている国だ。その内で石油が採れて一番の金持ち首長国がアブダビ首長国ということで、UAEの首都にもなっている。022 比較的、古いビルもある中で、さすがに各国のVIPが立ち寄っては宿泊するというホテルとか、豪華な施設が立ち並ぶが、街並みはドーハに比べれば落ち着きもあって、緑も豊かだ。

アブダビに一泊した後、車を飛ばしてドバイへ。整備が行き届いた高速道路を行くが、ドバイに近づくと、風景は一変する。まず、超高層ビル群がいきなり目に飛び込んでくる。

ドバイ、一体全体この都市はどうなっているのだろうか。中国もすごいが、この町の建設ラッシュは一段と凄みを感じる。高さ世界一の800mを越すというドバイタワーもまさに建設中。ドバイ全体が、狂ったような開発状況だ。高層ビルの建設ラッシュとともに、高速道路、メトロすべての街づくりが一度気に進行中だ。世界中の建設用クレーンの16%、はたまた30%以上がこの街に集結しているといわれるらしいが、まんざら大げさな話でもなさそうだ。今のところ、120万人といわれる人口が、数年後には600万人から700万人になるだろうとも言われている。つい最近まで砂漠の中の小さかった街でしかなかったところが、まるでシュミレーションゲームを見るがごとく、形づくられていくさまは、驚きをはるかに超えて気違い沙汰だ。031 034 ドバイは、紀元前から交通の要所ではあったらしい。しかし、今特にドバイ首長国自体に石油が出るわけでもなく、聞けば、UAEで余ったオイルマネーが更なる投機機会を探してこのドバイに集まってきているということらしく、いわばバブル以外の何者でもない産物といえる。なんでも神田うのが、テレビ局を従えて有名な七つ星ホテルに来ているということらしいが、これからも日本からバカンスだ、買い物だとドバイへやってくるのが増えるだろう。また、THE DESERT CLASIC というPGA tour が丁度開催されていて、タイガーウッズ以下の超有名選手が参加しているらしかった。世界中が何かに取り付かれた様にこの街に飲み込まれていくのではないだろうか。環境破壊が著しい北京を訪れたとき「ここから世界が壊れていくようだ」と感じたが、ドバイを見ていると「ここから魔界に落ちていくのではなか。」という恐ろしさを感じた。

絵に描いたような「砂漠とバブル」を実感した旅となった。

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中近東~クエート、サウジ

子供のころからの中東のイメージは、砂漠とラクダ、それに石油だったが、やはり最近は急速な経済成長による都市化の進展だろう。世界でも貧しい部類に属していた国々が、石油やガスの発見によって、大金持ちの国家になってしまった。今回の人生はじめての中東への出張で、そうしたイメージをこの目でみて実感することができた。006

香港、ドバイをトランジットして、最初の訪問国、クエートに到着。空港から訪問先まで、延々と砂漠が続く。ところどころに、テントの集落や、ラクダそれから羊らしきものが見える。360度見渡す限りが水平線につながる砂漠色の中をまっすぐに突き抜ける自動車道を走る。単調な風景につられて一見平坦にも見えるが、遠くをみやるとそれなりの起伏がある道路。第一次湾岸戦争では、この道路をイラク軍の戦車が駆け上った。イメージ通りの中東の風景ではあるが、一番の思惑はずれは気温だった。001 「今が一番いい季節だ。」と出張前に言われて出かけてきたものの、ここまで気温が低いとは思わなかった。最高気温が20℃を下回る気温のなかでは肌寒ささえ感じる。つい先だって、サウジアラビアにも雪が降ったらしい。途中、パトリオットではないかと思われる装置が10台くらい設置されていた。方角的にはイランのようにも見えた。

クエートの訪問先を出て、その日の内に、バーレーンに到着。翌日、バーレーンから車でサウジアラビアに入国。サウジアラビアこそは、厳格なイスラム国家だ。なんだかんだいっても、その他のアラビア国家はイスラム教の厳格な規律に対しての妥協が見られるが、この国だけにはそれが少ないとのことだ。他の国では、女性もすっぽりと全身に黒装束をまとっていても、それなりに顔は見せたりしているが、サウジアラビアの女性は、目だけしか他人にはみせてはならないというイスラムの教えが徹底されている。車の運転も男性だけに許されているという。世界の石油の半分を産出している国だが、同時に実際には、人権侵害の最たる国なのだが、そこは政治的な配慮のようなものがあるに違いなく、この国に対する表立った批判は不思議と少ない。バーレーンから約10km、海に架かった橋をわたって、サウジアラビアにはいると何ともいえないり緊張感を覚えた。しかし、ここでもいくつかのブランドショップが目に付く。一体誰が行くのだろうかと思えなくもない。勿論、金持ちは王族をはじめいくらでもいるし、半端な金持ちでもないらしい。昔から砂漠で暮らしていたことに加えて、いきなり金持ちになったので、国民全体に勤労意欲がないというのが、一番のこの国の悩みでもあるらしい。石油がなくなったあとの国のことは心配で、今のうちに石油産業以外を育成しようとか、教育に力をいれようという思いは強いらしいが、いかんせん、金だけはあるので、必死に努力しようという国民性のようなものは全く育たないらしい。どうやら、この国以外の周辺諸国もそのあたりは似たりよったりのようで、外国からの出稼ぎ労働者や移民で持っているというのが事実だ。

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2008年1月27日 (日)

トランジット

5時30分起床し、幾分が早い朝食をとって、寒い中、成田に向かった。東京駅から成田エキスプレスに乗るので、タクシーでいっそのこと行くかとも考えたが、やはりもったいないので、いつもの通勤ルートを採用。

こんな朝早くあまり成田エクスプレスにも人は乗車していないだろうと思いきや、ほぼ満員。当然ながら、成田も結構混雑していた。10時発香港行きのJAL便に搭乗、4時間あまりで香港国際空港に到着。トランジットに今いるのだが、退屈しのぎに、ブログ作成というのが今の状況。これから、8時間あまり我慢すれば、いよいよ中東の玄関ドバイだ。

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2008年1月26日 (土)

中東への旅仕度

名古屋地区への出張から自宅へ帰る間もなく、明日から出かける中東への出張の準備を始めた。この一年間でも海外へ出かける機会が多かったが、これまでの出張を通しても、中東へ行くのは初めてのことなので、仕事とはいえ、大変楽しみだ。中国の経済の活況とは一味ちがうであろう、石油産油国の様子を直接見てきたい。テレビでドバイあたりの都市化の様子をみたり、色んな人から「凄いぞ」という話を聞いたりしたが、やはる実際に見てみないことには。

そんなわけで、仕度を始めた。今、向こうは日本の秋に近い気候とのことだが、成田までは少なくとも冬服でいかなきゃならない。おまけに、4~5日の間に、あちこちを駆け回ることになっているので、荷物を預けるときちんと届かないというトラブルも結構あるとのことなので機内持ち込みできるように荷物はコンパクトにまとめた方がいいというアドブァイスをもらったので結構大変だ。できるだけ、着替えも厳選し、なんとかパソコンや書類も詰め込んで一応なんとかなった。

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長浜の運転手さん

今朝は、琵琶湖の湖畔の長浜のホテルで3時30分頃に目を覚ました。昨夜の宴会も結構盛り上がったし、終わってラーメンまで食べてしまった頃には時計は11時を回っていた。女房に電話を入れて、寝付いたのは12時近かったので、寝付きはいいが、相変わらずの不眠症かと思ったり・・・。001

昨日14時頃に米原駅に到着するなり、大雪が振り出したので、かなりの積雪になりはしないかと心配したのだが、僕にとって朝の雪景色と空気の冷たさはむしろ爽快を思わせるものだった。昨日のうちに新幹線の時刻に遅れないようにとホテルに頼んでおいたタクシーの運転手さんが「このあたりでこの程度の雪はいつものことで、たいしたことはないですよ。昔、そうですねぇ、昭和59年頃まではよく積もったんですけどねぇ」と教えてくれた。それでも九州の生まれの僕としては、それくらいの雪でもなんだか嬉しくなってしまう。ポケットからデジカメを取り出して景色をとらえると、「私がお撮りしましょうか?」と運転手さん。お言葉に甘えて、一枚だけ雪をバックにパシャリ。「ちゃんと撮れましたかね。確認されますか?」「いや、いいよ。写ってりゃいいんだ。ありがとう。」空は曇っているため対岸が見えない分、琵琶湖の大きさは海のようだ。そういえば、以前、汚染が広がったと聞いたことのある琵琶湖だが、水はもう随分と綺麗になっているのだろうか。いずれにしても、去年中国の無錫にいった時にみた太湖に比べれば、ずっとましだ。タクシーに乗って眺める遠く雪化粧をまとった山並みも素敵だ。「あの山なんて言うの?」「伊吹山ですね。」「いい形だね。」と言いながら走るタクシーの中でシャッターを切ると、どうやら運転手さん、その音に気づいたらしい。「一度、車、止めましょうか?」「いや、いいよ。」

運転手タクシーで15分程で米原駅到着、トランクを開け、荷物を降ろすのを手伝ってくれた運転手さん、今度は「どうもありがとうございました。お気をつけて」ときた。半日だけの短い滞在で、近くを見て回る時間も、心のゆとりもない自分だが、気持ちのいい親切な運転手さんに会えたのは嬉しい出来事だった。日ごろ、「自分は営業のプロだ。」と言いながらも「この運転手さんみたいなことは出来ていないな」と、恥ずかしくもなったりした。いつか、もっとゆとりが持てるようになったら、長浜をゆっくりと訪れてみたいと思う。

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2007年12月22日 (土)

人類の危機と北京オリンピック

今日は北京で朝を迎えた。昨日の昼に到着したのだが、一泊二日の慌しい出張だ。

それにしても、北京というところはなんて汚い街なのだろう。もともと砂漠に近く、砂埃が多とことにくわえ、近年は工業化や自動車の増加があって、四六時中スモッグが深く垂れ込めている。北京に来たのは、5年ぶりくらいだが、一層酷くなったように感じた。中国政府も北京の環境改善に躍起になっているとのことだが、自動車の増加の方が勝っているのだろう。風が吹かないこともあって、空気は淀んだまま動いていないので、どうしようもない。昼間なのに、太陽でさえもやった向こう側に赤い月のようにしか見えない異様な姿だ。産業革命後のロンドンが「霧の都」と呼ばれるようになったり、日本でも光化学スモッグの被害が叫ばれたこともあったが、ここ北京の様子は、もはや人類の危機すら感じさせるものがある。20071222_cnpc_001

そんな中、来年の8月8日の北京オリンピック開催を目指して、大会会場の建設も今まさに大詰めを迎えている。「鳥の巣」と呼ばれるメイン会場の周辺を車で観て廻った。ここに世界中からアスリート達が集まってくるわけだが、「晴れ渡った青空の下」ではなく、「暗くスモッグが垂れ込めた空の下」で競いあう選手達は気の毒としかいいようがない。聞くところによると、マラソン選手たちは、体調維持のためにぎりぎりまで中国国外にいて、直前に北京に入るという計画を立てているらしい。さもありなんだ。

「故宮や万里の長城を折角だから観にいきませんか」と誘われたが、五年前にみたこともあり、早朝の便で帰国することにしておいて、本当によかったと思う。北京で働く人たちには気の毒だが、一国も早く、退散してしまいたくなる街だ。

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2007年12月 8日 (土)

京都/清水寺は中国人観光客で一杯

出張で久しぶりに京都を訪れることができた。前日の夕方に着き、会食をして京都駅前のホテルに泊まった次の日の朝、移動の合間に折角なのでと、清水寺に紅葉を見に行こうと思い立った。高校の修学旅行で初めて京都を訪れて以来、何度も京都には来ているが、その度に定番の清水寺を訪れている。ホテル前でタクシーに乗り、多少混んでいたが、20分程で参道手前に到着。八橋や茶器や漬物を扱う土産物屋が連なる以前と変わらぬ風景に、やはりこれもこの時期恒例であるだろう修学旅行の学生達の姿が最初に目に映った。修学旅行でここに来たのもついこの前のような気もするな等と思いながらしばらく歩いていると、制服をきた学生以外の旅行客の何人かが中国語を話しているのに気が付いた。よくよく見ると、ちょっと先の階段に並んで集合写真を撮っているのもどうやら中国人の団体客のようだし、門の前でガイドが話しているのもどうやら中国語だ。なんのことはない、どうやら自分は中国人の中にいる少数派の日本人であることに気付いた。日本のどのホテルに泊まっても中国人客が増えたなぁと思うのだが、世界遺産にも指定されたこの清水寺は中国人にとっても京都旅行のハイライトの一つであるに違いない。とにかく周囲は中国人だらけだということで驚いてしまった。観光地がこうして外国人でにぎ合うのも悪いことではないだろう。

その後は、拝観料を払って境内に入り、一通り、清水の舞台から紅葉を眺めた後、折角来たのでお守りなんぞを買ってみようと売店に立ち寄った。交通安全、出世祈願とかいくつかの種類のお守りがあったが、ちょっと迷ったものの「家内安全」のお守りを350円で購入(結構、安い!)。008

015 019 最後は、脇の階段を辿って降りていくと、茶店があったので、ぜんざいを食べてみた。30分くらいの小さな旅だったが、それなりに満足することができた時間だった。

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2007年12月 1日 (土)

無錫旅情?

出張で二泊三日、中国へ行ってきた。羽田発の飛行機で二時間半で上海の虹橋空港到着。イミグレーションも殆どフリーパス状態で、「ほんと中国も変わったよなぁ。」というか、時間的にも、着いた時の雰囲気あたりも九州出張と変わらない。

上海で一泊、翌日、高速道路に乗って、蘇州から無錫へ。途中蘇州工業団地へ立ち寄った。蘇州工業団地は三年ぶり。前回来た時は空き地がまだまだ多かったが、広大な団地はもうすでに巨大な外資系企業の工場群で満杯状態だ。今、新しい工場進出は無錫の工場団地の方へ向かっているという。以前は、空き地に古い集落がぽつぽつと両側に見て取れるくらいだった上海から無錫へ向かう200km誓い高速道路の両脇も、今では、ずーっと工場群とマンションを中心とした家並みが続いている。行けども行けども同じ風景は気が遠くなるほど単調でもある一方、中国経済の急成長に圧倒されるものがある。自動車生産が今年850万台、エアコン生産に至っては6000万台超えというのも、目の前に広がる光景をみると最もな話だと納得してしまう。沿岸部と内陸部の経済格差が言われて久しいが、それでも最近は武漢、重慶といった内陸都市の急成長もあるという。いやはや日本にいて話を聞いているだけでは実感をもてないが、無錫あたりの建設用クレーンがそこかしこに林立する絵姿をみると、さもありなんと痛烈に感じる。010

話は変わって、無錫。錫が無いというが、土地の人に聞くと、言い伝えでは大昔錫が採れたのだが、掘り尽くしてしまったので、有錫という名前から無錫という地名になったともいう。はたまた、錫は戦争に使われたということで、それがない街、つまり平和な街というところから来ているという説もあるらしい。僕なんかは、尾形大作が歌った「無錫旅情」で知っているだけなのだが、今回は、たまたま、その歌に出てくる太湖の畔のホテルに泊まることになった。 このホテルのあたりは工業団地の近代的な街並みとは違って、昔からの公園もあり、古い無錫の景色を眺めることができる。そのホテルで、付き合いのある会社の事業報告会に出席して、その後の会食では、女子十二楽坊ならぬ、男子五楽坊の演奏が聴けたりした。029翌朝は、朝食を済ませた後、少し肌寒い中、太湖の畔をしばし散策。しかし、太湖は実際に近づいてみると汚かった。今年は、大量に藻が発生して大変だったらしい。 よくテレビあたりで報道される中国の環境問題の深刻さも実感することができた。

出張ということもあり、あまり「無錫旅情」は感じなかった。

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2007年11月23日 (金)

熊本城

帰郷した際に短い時間だが熊本城内に入ってみた。今年は、なんでも加藤清正が築城してから400年ということで「熊本城築城400年祭」が開催中ということだ。あわせて、天守閣の改修や、その他周辺建造物の復元工事が進められていた。

小学生の頃、何度か写生に熊本城に行ったことを想いだした。034 確か、弁当を持って出かけたように思う。子供ながらに一生懸命、正確に写し取ろうとしていた記憶がある。小学生の頃の絵なんかは当然残っていないのだけれど、そのとき座って眺めた熊本城の構図はよく覚えていた。

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2007年10月 8日 (月)

無事帰国

昨日の15時前にハワイから成田に無事帰国。一週間、結構長くて、贅沢な旅行だった。50歳も過ぎて、会社生活も25年以上、色んなことがことがあったけど、気分一新、リフレッシュできる旅行だったと思う。これからも女房と連れ立って旅行することはあるだろうが、年を取りすぎると、行きたいところにもいけなくなるということらしい(ちょっと、老け込んだ考えかたかな?)し、いい想い出にもなった。ホテルでのんびりが基本ではあったが、ゴルフやジョギングもやったし、女房のショッピングにも付き合って、うまいものも食って、それなりに充実した一週間だった。

成田について、すぐに荷物二つを宅送便にして身軽になって家に帰ることにしたのだが、夕刻の食事の買出しを途中やったこともあって自宅に帰りついたのは18時ころ。さすがに、ぐったりして、夕食の後は爆睡してしまった。久しぶりに10時間くらいは眠っただろうか。いやはや、長旅の疲れというのか、年をとったというのか。ま、今日は祭日。一日疲れをとって、明日から仕事を頑張ろう!

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2007年10月 3日 (水)

ハワイで軽くジョギング

ハワイ二日目。当然ながらまだ現地時間に体は馴染まないが、行動開始。朝食をとって、勇んで旅行会社が主催する「ダウンタウン見学ツワー」に参加しようと予定の場所に行ったのだが、「案内のトロリーバスが交通事故にあって到着しないため、、申し訳ありませんが、キャンセルとなりました。」と旅行会社の説明。朝から空振りでついていないが、仕方ないということで、ホテルに戻り、気を取り直して泳ぐことにした。その前にホテル近くのABCストアで浮き袋を購入。51歳にもなって、浮き袋は恥ずかしさもあるが、海の上でのんびりとプカプカと浮かんでいるためには、やはり必需品だと思う。浮き袋に乗っかり、ぼーっと青い空や、海岸線に並ぶ高層のホテル群を眺めたりし003ていると、ほんと幸せな気持ちに。007_3

二時間ほど、泳いだりした後、ホテル近くの公園を軽く20分程度ジョギング。 暑いが、綺麗に整備された公園の中を走るのはやはり気持ちが良かった。次回は、しっかりと走ってみたいと思う。

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2007年10月 2日 (火)

ハワイに到着

先ほどハワイに無事到着。イミグレーションも結構すいていて、すんなり通過。ホテルでチェックインを済ませ、早速、無線LANでのインターネット接続にトライ。これまたすんなり繋がった。往々にして、なかなかセッティングに手間取ったりして、およそ半日近くをいらいらしてすごしたりするものだが、全くのノートラブルだった。これで、自宅のPC環境を手元に置きながらのんびりできると思うと、ほんとスッキリ。

肝心のハワイの様子はというと、やっぱり暑い。Dscf1427 いつものことながら飛行機で一睡もできなかったとボヤく女房は「やっぱりハワイは暑いわね。やっと日本、涼しくなったと思ったら、また逆戻りね。」だとのたまう。そりゃあ、常夏の国だもんね、仕方ないわな。何はともかく、これからひとっぷろ、じゃなかったひと泳ぎしてこようっと。

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2007年4月 8日 (日)

たまたまばったり

手術を終えて、熊本空港へ。手術ということで朝から何も食べていなかったので、空港に着くと早速レストランへ向かった。何を食べようかなとぶらぶらしていると、向こうからどこかで見た風の女性がやってきた。向こうも、私の顔をいぶかしげにみているようだ。すれちがいざまに、お互い「もしかして?」と挨拶を交わした。10数年ぶりだろうか。高校時代の友人の奥さんだった。女房同士も友達ということもあって、以前はたまに食事をしたりしたのだが、ほんとに久しぶりだったし、互いに関東に住んでいるのでまさか熊本空港で会うとは。聞くと、お母さんの具合を見に一日だけ熊本に帰ったという。フライトまで時間があったので、一緒に食事。まるまる一日も滞在しなかったのだが、ほんと色んな出会いがあった帰郷だった。

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友達の友達

熊本での待ち合わせの店「maya」。気の利いた創作料理がおいしい。そこで、高校時代の友人(翌日手術をやってくれた)と待ち合わせで飲んでいたら、たまたまその友人の中学時代の友人がその店にやってきた。当然、同じ年。私と出身高校は違うのだが、高校時代は陸上ホッケーをやっていたという話になった。「ということは、一緒に試合やってたね。」高校時代は、超マイナースポーツである陸上ホッケーをお互いにやっていたのだ。そうそう、そういえばこんな人が相手チームにいたなぁ、と私は少々思い出したのだが、向こうは思い出してくれない。でも、「で、出身中学はどこ?」と聞かれたので、「京稜中学だよ」と答えると、「ああ、じゃあ小森はしってるか?」と懐かしい名前が飛び出してきた。友達の友達。楽しい夜でした。

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なんて親切な街だろう

腸の手術で故郷の熊本へかえった。手術の前日だったが、友人と飲み屋で待ち合わせをした。ところが、店がなかなか見つからず、また、あいにくの雨の中、傘を持ち合わせておらず、濡れて困っていると、年のころは私と同じくらいの男性が声をかけてきた。どうやら、小さな地図を見て場所がみつからないのに気付いたようだった。「どこの店ですが。スナックですか。地図見せてくださいよ。」ときたので、ひょっとしたらいかがわしいポン引きの類かと思ったのだが、名刺大のその地図を見せると傘のなかで一生懸命見てくれて、場所をきちんと教えてくれた。まず、東京だと考えられないね。わが故郷熊本はなんて親切な人がいるまちなのだろう。ポン引きと勘違いしてほんとにごめんなさい。

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