2008年3月29日 (土)

桜散歩に出かけた

013 世の中、桜、桜とうるさいくらいだ。今週、カナダからのお客があったが、彼らもどうやら「桜の季節」を狙って日本ににやってきたようでもあったし、今は海外でも有名なくらい日本の季節の中で一番美しい時期の一つだ。

夏場に鬱蒼とした葉っぱで光合成を繰り返して造り上げたエネルギーを、冬に幹や枝の中で練り上げ、虎視眈々と狙っていたうららかな光の訪れにあわせこんで、一気に開花にしたてあげる様は実にお見事だ。010 日本人は豪快なまでの散り際の良さや、はかなさに引き付けられるといわれたりするが、未だ葉っぱもつけない内に、枝からだけでなく本体の幹からさえ見境もなく全身に花をまとうる様は、まさに「狂い咲き」であり、どうやら尋常な生き物でもなさそうだ。

とはいえ、そう長い桜の季節ではない。「今日は桜三昧といくか。」と、散歩に出かけた。まずは、いつもお決まりの駒沢公園の桜の開花状態を確認。テニスコート側から公園に入るとグラウンドをはさむように、桜の花が満開だ。「ここの桜は必ず見ておいてやろう。」と思っていたやつだが、まずますの咲きっぷり。朝早いので、グラウンドに人はいないが、公園にはすでにウォーキングやジョギングを楽しむ人は大勢いて、気持ちがよさそうだ。

最初の桜の確認をす014ますと、駒沢公園を出て、直ぐに呑川緑道の桜のアーケードに入りこんだ。去年引っ越してきた時から、ここの桜道はとても綺麗で、通り抜けをする人たちでにぎ合うと聞いていた場所だ。確かに、緑道がずーっと桜並木なのは素晴らしい。 欲を言えば、桜自体がやや小ぶりで、たわわにしなるような枝ぶりではないのがやや残念といったところ。何枚か写真を撮りながら30分ほど歩いたところで、次の目的地を浄真寺「九品仏」とした。

今年の大晦017日に除夜の鐘を聞きに行った浄真寺も、このあたりでは「桜の名所」ということらしい。境内に入り、本殿の方に向かうと立派な枝振りの桜の花が十数本、期待していたほどの数ではない。 確かに、厳かで静かな雰囲気が良いといえば良いのだが。本格的なカメラを構えた人や、スケッチをする人達もいた。

浄真寺を出て、奥沢を抜け、環八を横切って、田園調布方面へ。最後の目的地は「多摩川台公園」だ。日本でも有数の高級住宅街を通って、しばら進むと看板に「宝来公園」とある。この公園には桜は数本だが、池があってちょっと気取ったカモがいたりで、なかなか落ち着きのある公園だ。この公園のトイレで用をたした後、道路をわたって、「多摩川台公園」に到着。人のざわめきも聞こえるくらい、ここは、期待通りの見事な桜の公園だった。027 花見の宴会もOKらしく、早朝にもかかわらず、すでに場所取りの青いビニールシートが目立ってる。公園の丘に上がると、その先は多摩川で、むこうの岸から東横線の電車がこちらに向かって近づいてくる。きっとあの電車からみたこの公園の桜は素晴らしいに違いない。桜の花の蜜を吸ってでもいるのだろうか、たぶんヒヨドリと思える鳥のさえずりも耳にひびく。カラスも多いのだが、いつもは不快なあの黒い体さえ、桜の花の中ではマッチしたようにも見える気がするから不思議だ。体いっぱいの満足感を覚えながら、公園の端を下ると多摩川駅。駅の横にみつけた「田園調布せせらぎ公園」もついでに覗いて、そのあと、田園調布駅まで歩き、最後は、そこからバスに乗って帰宅。所要時間約二時間。もう今年は見なくてもいいというくらい桜を満喫できた桜散歩だった。

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2008年2月17日 (日)

二日連続のジョギング

「所さんの目が点」という番組は、いつも日曜日に目が覚めた頃にやっている番組。今朝もチャンネルを回すと、今日の題材は「マラソン」。今日は「第二回東京マラソン」ということでのことだが、ネタ的には、シューズの話とか、目新しいものはなかったが、レギュラーで、いつもデブをからかわれる矢野氏が42.195kmを走りきっていたのにはやや感心。10時間以上を掛けての完走なので、東京マラソンの制限時間内はどうやら無理そうだが、それはそれでたいしたものだ。とりわけ、最初の1kmとかは、7分台でクリアしていたが、これは、昨日の僕のスピードよりも出いていることになる。

そんなわけで、昨日久しぶりに4km走ったので、今朝は無理をせず、ウォーキングにしておこうかと思っていたのだが、その番組に多少の刺激を受けて昨日と同じ格好をして今日も駒沢公園に出かけた。東京マラソンが開催されるからだろう、駒沢公園の人影、とりわけジョギングしている人の数がいちもより随分と少なげだ。いつもより二、三割は少ないだろうか。

それはともかく、やはりスタートしてみると、昨日よりは幾分か体が軽く感じられる。ほんと人間の体というのはよくできていて、鍛えれば、50才を過ぎた体でもすぐに効果があらわれるものだ。とはいえ、昨日走った分、足の筋肉が硬くなっているところもあるので、スピードの出しすぎは禁物、ゆっくり、ゆっくりをモットーに一周目をクリアして、二周目へ。ところが、二周目を三分の一程いったところで、結構息があがり始めた。やはり、矢野氏に刺激されて、自分としては抑えていたつもりでも最初のペースが出すぎていたのかもしれない。仕方なく、走りながら呼吸を整えることに集中してペースはスローダウンさせた。そんな感じで、昨日よりもくたくたになりながら二周目をフィニッシュ。記録は一周目が16分25秒、二周目が16分12秒だ。まだまだ、歩くようなスピードだが、それでも昨日の二周よりは二分近く早く走ることが出来た。この調子で毎日少しづつペースを上げていくことができれば・・・・ということなのだが、また明日からは仕事、しかも宴会続きとあっては、また来週の土曜日に再チャレンジということしかない。とにかくあせらずに続けられればいいのだが。

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2008年2月16日 (土)

ジョギング、今度は続くかな

昨夜も付き合いで酒を飲んだりしたので、今朝の目覚めもけして良いほうではなかったのだが、食事を済ませると、不思議となんだか走ってみたい気持ちになった。こんな日ってたまにあるのはなぜだろう。とにかく、上下のトレーニングウェアと手袋、それから毛糸の帽子をかぶって駒沢公園へ。

今朝も快晴! いつもと同じように、ジョギングやウォーキングを楽しんでいる人が多いこと。「ほんと、駒沢公園っていいよなぁ~。気持ち良いよなぁ~」と思いながら、無理をせずを第一に、歩くようなスピードでジョギングスタート。ほんと歩くようなスピードなので、前を行く早足のウォーキングする人にもなかなか簡単には追い付けない。逆に、軽快な足取りで掛けてくる足音がいくつも追い越していくので、自分のジョギングのスピードが恥ずかしくなったりもするのだが、とにかく、慌てず、ゆっくりとゆっくりと呼吸を整えながら走ることに。丁度、1000m走ったあたりに、先週見に来た梅の花の一角があったが、今週も未だ満開という感じではなさそうだと思いながら通り過ぎる。ちょっとしんどくなると、走りながら深呼吸を繰り返し、そんなこんなで、一周、約2000mをクリア。ここで止めようとおもったのだけれど、どういうわけか、もう少しはいけそうな気になって、そのまま二周目へ突入。スピードを上げると絶対に続かないので、あくまでもゆっくりとしたテンポを守りながら進む。しばらくすると、体の暑さが気になりはじめたので、手袋を外してみると、思ったとおり幾分か元気回復、もうしばらくは走れそうになった。やはり皮膚を晒した方が、呼吸が楽になるようだ。それからしばらく走ってから、今度は帽子を浅めにかぶりなおして耳を外気に晒してみると、これまた気持ちが良く感じられた。そんなこんなやりながら、なんとか二周目もクリアすることができた。タイムは、一周目が17分31秒、二周目が17分02秒。ほんとにスロースピードだが、やはり久しぶりに4000mを走れたのはうれしい。去年の秋にも、思いついたように走り始めてみて、「駒沢公園3周」を目標にしたのだが、あえなく挫折。さて、今回のジョギングは続けることができるだろうか。無理をせず、やってみよう。

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2008年2月11日 (月)

駒沢公園の梅の花

今日は朝からカメラを持って、久しぶりに駒沢公園に出かけた。この時期は渡り鳥の泣き声が耳に届く季節だが、バサバサという羽根音に気づいて大きな木を見上げると、尾の長さが20cm程度はある鳥が三羽くらい、枝渡りを繰り返している。なんという鳥なのだろう、尾は特徴的なのだが、なにせこのところすっかり衰えた視力では鳥の輪郭を捉えるくらいがやっとだ。さりとて、デジカメを取り出してみたところで、貧弱な望遠機能ではどうしようもないし、そもそも鳥のすばやさや敏感さをとらえるなんてことは到底素人ではできることではない。諦めて、また歩き出した。本当はジョギングというくらいに動きたいのだが、どうも体がそれを許さないくらいになってしまっている。

しばらく歩いて、駒沢公園のジョギングコースの一番北側あたりに来ると、一応、今日の被写体目標に決めていた梅の木の一群の前に。002 二週間ほど前に来たときに、僅かだが花をつけていたので、もう随分と咲いた頃ではないかと思って来てみた。紅白の梅の木が十数本。もうかなり花を咲かせていたが、やはりこのところの寒さ、特に雪が二週続けて降ったことなどもあってか、未だ満開というところまでは来ていなかった。桜のように華やかさはなく、どこかしら沈み込んだような色合いだ。周りの桜の木々は、未だに枝だけを晒して寒々とみえる。

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2008年1月14日 (月)

冬場の等々力渓谷

今朝のウォーキングの目的地は等々力渓谷。東京23区内唯一の渓谷ということなので行ってみることに。もっとも渓谷といえば、夏場に涼を求めてみんなが出かけるところだから、何もこんな時期に行くこともないが、エアコンの時代、そんなの関係ないということだろう。

目黒通りを下って、環状八号線にぶつかる手前で等々力駅の方へ向かうと、「ざいもく亭」という料理屋があって、その横が等々力渓谷の入り口。看板を見つけて読むと、谷沢川と多摩川がぶつかるところで崖が削れてできたところだとの説明があり、渓谷の先にある不動の滝の音が周囲に轟きわたったところから、この一体を「等々力」と呼ぶようになったという説まで書いてある。006 011 まあ、そんなことはどうでもいいと思いつつ、橋の袂の階段を下りていくと、確かに渓谷らしい風情に入ることができた。残念ながら、川の流れは透明度がまだまだだが、鴨が泳いでいたり、それなりの雰囲気。すれ違う人もまばらだ。しばらく行くと、小川の水質を調査しているらしき人がいた。こんなちっぽけなところでも自然を守るために頑張っている人がいるのだろう。「夏場になったら、もう一回くらい来て見てもいいかな。」と思いながら進むと、ほどなく、「不動の滝」の音らしきものが聞こえてきた。7~8m位の高さのところから、小さな滝の筋が二本、流れ落ちている。今は、鎖が渡してあって入ってはいけないが、どうやら昔はここで修行僧なんかが滝に打たれるなんてこともあったように見える。よくみると、まだ新しいようだが、滝の上には不動尊が飾られている。近くの水汲み場では、ペットボトルを抱えてきて汲んでいく女性の姿もあったり、静かで、多少は厳かさも感じられる風景だ。最後は、滝の横の階段を上がって、等々力不動尊にお参りして帰ってきた。所要時間、約一時間半。

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2008年1月 4日 (金)

松陰神社

自宅から3kmほど離れた松陰神社へ。40分くらいで到着。 004 言わずと知れた幕末の思想家、吉田松陰を祭った神社だ。江戸時代には長州藩ゆか007_2りの屋敷があった場所に明治時代になって松陰の弟子の人たちが建立したということなので、まだ100数十年しかたっていない。日本でもかなり新しい神社の部類なのは間違いないし、一民間人が神様になってしまっているのだから、さすがというところだろう。吉田松陰は、安政の大獄で連座させられて30歳で処刑されたのだから、今更ながら、その短い人生の中で、志まっすぐに生き、また、数多くの弟子達に多大な影響をあたえたことに対する尊敬と愛おしさを与えてくれる存在であることが素晴らしい。吉川英二が松陰を描いた小説で、その時世の句が、「身はたとい武蔵野の野に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」であると書かれていたが、あまりにもそれらしくて本当だろうかという気もしつつ、凄い志だという感想が僕の心の中にずっと存在している。それはともかくとして、まずは水で手を清めた後、本殿の前で参拝。今日は「自分も志だけは高く、生きて行きたいと思っておりますのでどうぞ宜しく。」と素直にお願いすることにした。

昨日、熊野神社で去年の破魔矢を処分してもらった。三が日も過ぎて今更という気がしないでもなかった001が、折角なので、今日は、この松陰神社で破魔矢を買うことにした。二種類あったが、奮発して「こちらを下さい。」と、高級品の方を所望。お金を渡すと、「お好きなものをどうぞ。」と言われた。数十本まとめられている箱の中から、どれもおなじだろうと思いつつも羽根の比較的綺麗なものを選んでゲット。家に飾ることにした。ついでに「おみくじ」も引いてみたところ、「小吉」。「大吉なんぞより、小吉程度の方がいいのだ」と昔、母親に言われたことを思い出し、おもわずにんまり。なるほど、頭書の短歌が「春風に池の氷もとけはてて、のどけき花のかげぞうつれる」とあって、「願望:思い通りです。しかし、やり 過ごせば悪し」とか「学業:雑念が多すぎる勉学せよ。」とのこと。それなりに納得。松陰のお墓で黙祷を済ませて、神社を後に。

そのまましばらく歩いて、豪徳寺境内へ。ここは彦根藩主井伊家の菩提寺ということでさすがに立派なお寺。井伊直弼の墓もあるらしいが、松陰が処刑された安政の大獄の主導者だった人の墓が直ぐ近くにあるというのも歴史が凝縮されているようだ。ほどなく、境内を出て、世田谷城跡公園のところから上町駅の方に折れ、世田谷通りを越えると「ボロ市通り」というところに出た。通りをいくと「世田谷代官屋敷」。門の前で、由緒書を読んでいると、管理人らしき人がわざわざ出てきて、「どうぞお入りください。」と言ってくれたので素直に入ってみた。明治初期まで続いた井伊家ゆかりの代官屋敷がそのまま残っていて、これまた大したものだった。

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2007年12月30日 (日)

駒場東大前

昨日はグロッキー気味で、一日中どちらかというと家の中でも体が横になっていた。今年も残すところ、あと二日。ピリッと締めておきたい。起床は、いつもの休日とくらべるとやや遅めの7時20分。食事の後、いつものように、地図を取り出して、どこへでかけるか算段。しばらく、悩んだあげく、駒場の東大まで歩くことにした。

駒沢通りを東に出て、環状七号線へ。三宿、池尻を通って、約一時間半程度で、駒場周辺に到着。井の頭線にぶつかったところで、「駒場野公園」といところに入ってみた。002 004「 昔も、こんな公園あったけかな」と思いながらいつものように由緒書を見つけて読むと、「駒場農学校跡」と書かれてあった。ドイツから学者を招いて立ち上げた近代農学発祥の地とのこと。その内の一人にケンネルさんという学者がいて、化学肥料を使用した田圃をここで実験したとのこだが、今でも継続して稲作をやっているという「ケンネル田圃」というものがあった。確かに、今年も稲を刈った跡がみてとれた。東京の目黒区で稲が実験とはいえ作られているとは恐れ入った。

しばらく、公園の中を徘徊した後、表の通りに戻って、10数分行くと駒場東大前駅に到着。冬休みだが、インターバルをとりながら二人の学生が全力で駆け上がっていく線路沿いに緩やかなスロープを歩いていくと、東大教養学部の正門に出た。007 ここへ来たのも30年ぶりくらいだろうか。正門から眺める講堂の姿は変わらない。入り口の前には、昔から比べればずっと数が減ったし、過激なものもなくなったが、やはりいくつかのたて看板がある。一番大きな看板に目をやると「民青同盟東大駒場班」とあって、「知ること、学ぶことが楽しくなる。学費、高すぎない?」と書かれている。ほんと平和だ。そう言えば、僕らの学生時代には、「ノンポリ」なんていう自嘲的な言葉が流行っていたが、もはやそういう微妙な意識さえ、社会の中にも、自分自身の中にも無くなってしまった。仕事に追われて、それなりの自己の達成感にこだわる日々。そして、健康のための年末の散歩・・・か。

井の頭線に乗り、渋谷に出て、東急バスに乗りついで帰宅。

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2007年12月24日 (月)

目黒、色々と見て廻りました。

昨日は午前中雨だったこともあり、ウォーキングは中止。ということで、今朝は食事を済ますと、早速地図を取り出して、一睨みした上で、目黒駅まで行ってみることを決断。「結構歩くことになるな。」と思いつつ、出発。

まずは、途中まで、先週歩いた道筋で、碑文谷のサレジオ教会まで到着。001 先週、帰ってきてから「碑文谷にサレジオ教会という立派な教会があったぞ。」と女房に話たところ、「あなた、あそこは松田聖子が神田正輝と結婚式をあげたところよ。」と教えてくれた。他にも芸能人で結婚式をあげたのは大勢いるらしい。そう言えば、聞き覚えのあるような名前の教会だとは思ったのだが、いずれにしても、「松田聖子と神田正輝の結婚式」なんてのを覚えているというのも、間違いなく50代夫婦でしかありえない話だろう。昔、10代、20代の頃に、美空ひばりとか、江利チエミあたりの結婚式の話をきかされたりすると、「なんだそりゃ!」と思ったものだが、まあ、そんなもんなのかもしれない。そういえば、昨晩、松田聖子がテレビで歌っていたが、娘のさやかとかはどうしたのだろう、彼女に子供でもできりゃ、さすがの松田聖子もおばぁちゃんだよな、などと思いながら、先週きたスズメのお宿公園の脇を通って、碑文谷八幡宮に到着。004 005

このところ、散歩がてらに神社仏閣に立ち寄るのが結構多くなったので、今日は、途中で寄れるだけ寄ってみようということで、まずは、碑文谷八幡宮で、お賽銭を投げ込んで、参拝。境内は、静かな感じだが、やはり近くから散歩のついでに立ち寄ったような夫婦が、手を水で清めたあと、二人でお参りをしていた。仲むつまじくて羨ましいと思いつつ、写真を一枚。本殿の脇にある杉の木だろうか、なかなか立派な構図だ。今日は裏から入ったので、表へ抜けて、参道を進み、ふりかえって、鳥居を対象にもう一枚。

ほどなく、今度は「円融寺」に到着。006 010 848年に開かれた天台宗のお寺というのだから、相当なものだ。本殿は「需要文化財」に指定されている室町時代の建築物ということでなかなか。途中、日蓮宗によって法華寺とされたらしいが、江戸時代になると日蓮宗は迫害をうけたそうで、再び、元の天台宗に戻ったと由緒書にある。いやはや、歴史があるなと思いつつ、裏口へ向かうと、綺麗なトイレがあったので、拝借。(ウォーキングの最中には、ほんと貴重)

「円融寺通り」なる通り行って、しばらくいくと、「林試の森公園」という大きな公園。015 今日の目的地はここにしていた。「林試」とは、何かと思ってでかけたのだが、「林業試験場」後という意味だと分かった。現在は筑波研究学園都市の方に林業試験場は移ったため、今では、東京都が管理する公園になったということが分かった。縦長のかなり大きな公園になっている。

林試の森公園を抜けると、今度は、「目黒不動尊参道」とあった。019 023 こちらは結構有名なところで、名前は聞いたことがある。しばらく、行くと、直ぐに、到着。入り口前には、歌舞伎にもあるという白井権八と遊女小紫の記念碑があったり、門ををくぐると、水掛不動尊があったりと、なかなかの物語だ(天台宗龍泉寺というらしい)。水掛不動尊というからには、水を掛けて帰らねばということで、前のおじさんのまねをして、柄杓で水を三杯掛けてみる。ここでも、お賽銭をあげて、そのあと裏口を通って出ると、今度は、「青木昆陽の墓」とある。徳川吉宗、大岡越前の時代に、サツマイモを飢饉用ということで広めた学者さんとのことだ。

そのあと、山手通りに出て、目黒通りの交差点にある「大鳥神社」へ。いつもバスから眺めていたが、実際には小さな神社だ。ここも、既に、初詣にむけて、準備が進んでいた。受験生にしては結構年食ったような人がお参りしている横で、ここでも100円玉を投げ込み参拝終了。もう家を出てから二時間ほど経ち、やや疲れてきたが、もう一頑張りということで028 030目黒駅方向へ。「権之助坂」だが、この名前にも何かの由来があるのだろう。できれば、ここでも由緒書がないかと思いながら歩いたが、発見できす、これは次回の宿題にした。目黒駅前近くの、脇道にはいって、とんかつ「とんき」の前に立った。大学時代に友人から誘われて、目黒のとんきにとんかつを食べに来たことを思い出す。その当時は、多分場所は、権之助坂あたりの二回にあって 狭い店だったような記憶がある。当時から行列のできる店で、友人が「キャベツと味噌汁はお代わりが自由だ。」と言って連れてきてくれた。今では、そうしたサービスは珍しくないが、金も無かった学生時代には、それはそれで感動に近いものを覚えたりした。今では、店舗も他の街にも展開したりしているらしい。

ということで、最後は、目黒駅前から、ちょっと日寄って、バスに乗って帰ってきた。

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2007年12月16日 (日)

銀杏の実

今朝もウォーキングへ。柿木坂の交差点を環七方向へ向かい、そのまま目黒通りへ行くと、碑文谷の交差点。それを横切って更にダイエー碑文谷店の脇を進むと、大きな教会が見えてきた。「サレジオ協会」とある。由緒書が入り口のところにあったので、読むと「1954年落成」とあり、ステンドクラスや壁画、パイプオルガンの説明があった。隣には広々とした目黒サレジオ幼稚園も付属していて、閑静な住宅街の中にある教会としてきっと有名なのだろうと思いながら、交差点を左折。しばらく行くと、小さな公園らしきものに行き当たった。入ってみると「スズメのお宿緑地公園」とある。昔は、鬱蒼とした竹林だったらしく、スズメがそれこそ群生していたのだとここにも由緒書があった。角田さんという人の民家だったらしいが、「自分が死んだらお国にこの土地はお返ししたい。」ということで国が引き取り、現材は目黒区が管理しているという。公園の中では、犬を連れた近所の人たちが数人集まって楽しそうにくつろいでいた。今では竹林はわずかしかないが、ちょっと変わった公園ということで、愛らしい。

それから、しばらく都立大学駅前の方に向かって歩き、左折して緑ヶ丘駅の方向へ。たどり着いたところに再び公園のような入り口があるので、入ってみると東京工業大学キャンパスだった。通勤で使う大井町線の中から見える銀杏林の丘はここだったはずだが、東工大の一角だとは知らなかった。東工大には確か学生時代に二度来たことがある。一度は友人と東工大の学園祭に泉谷しげるのコンサートを見に行ったのと、もう一度は、東北大でラグビーをやっていた友人が東工大のグラウンドで試合があるからというので応援にいった、その二回だ。数年前にその東北大出の友達は脳梗塞で突然倒れて亡くなってしまったことを思い出した。東工大でみた試合で、途中、タックルを受けて倒れ、しばらく動かなかったので、見ていた僕達は心配したのだが、直ぐに立ち上がってその後も元気で走り回っていたやつが、あんなに早く死んでしまうなんてことこは当然ながら予想もできないことだった。そんな多少の感傷にひたりながら、しばらく構内を歩きまわったのだが、どこから出たらいいのか分からなくなってしまい、仕方なく来た道を引き返すことにした。既に銀杏は九割方は葉っぱを落としてしまっていて、道はその落ち葉で一杯だった。やって来た道をしばらく進むと、先ほどは全く気づかなかったのだが、足元に銀杏の実を見つけた。001 あそこにも、一つ、二つ。昔、金が無くて、銀杏の実を拾ってそればかり食っていたら、アクが強いので、顔がはれてしまったという馬鹿なやつもいたが、まあそれほど沢山は落ちてはいない。結局八個拾ってポケットにしまうと、なんだかそれだけで、今日の散歩は正解だったなとうれしい気持ちになった。

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2007年12月 9日 (日)

九品仏 浄真寺

今朝は、深沢の交差点から目黒通り方面へ、そのまま駒八通りをまっすぐ行って、大井町線の前を自由が丘の方におれ、最後は都立大駅まででて1時間20分くらいのウォーキングで帰ってきた。

途中、奥沢のあたりで、数人のご老人が落ち葉を綺麗にはいてる参道を発見。折角だからと参道を進むと、「九品仏 浄真寺」と立て札がかかっていた。なんのことはない、九品仏駅前の名前の由来のお寺だった。入り口の由緒書に、3万平数平米とあるので、「へぇ、結構でかいお寺だなぁ。」と思い、そのまま中に入ってみた。人の姿はまばらで、散歩に来たのだろうか、お年寄りが二、三名。しかし、やはりなかなかの構えのお寺だ。木々も立派で、京都のお寺ほどではないが、かつ銀杏や楓の紅葉がそれなりの風情をかもし出している。釣鐘があり、きっと大晦日にはここで除夜の鐘が打ち鳴らされるのだろう。さらに進むと、本堂らしきものが右に見えてきた。本道の向かい側には本堂とほぼ同じ大きさの建物が三つ並んでいる。本堂をしばらく眺めて来たほうへ引き返えすと、すれ違ったご老人が、「あちらのお堂が・・・・。」と言ってくれた。要領をえない僕は「ええ・・・」と愛想笑いでやり過ごしてしまった。引き返すと、おみくじやお札を売っている店もある。「各種お守り有ります。」となっていて、単価は500円とある。僕は「清水寺のお守りよりちょっと高いな。」と思った。

門を出て、再び由緒書に目をやると、もともと江戸時代初期までここには「奥沢城」があったところに、1678年に浄真寺が建立されたとある。本堂の向かいにある三つのお堂、すなわち三仏堂に、それぞれ三体の阿弥陀如来像が安置されているところから「九品仏」というところの由来があるのだという。さっきすれ違ったご老人は、「あなた折角このお寺に来たのなら、九品仏のあるお堂へも行ったらどうですか。」と僕に教えてくれたのだろうと始めて分かった。

今年の大晦日には、できれば除夜の鐘の音を聞いてみたいと思った。

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